9月8日。 戸田先生の原水爆禁止宣言から53年の月日が。。。

“地上から悲惨の二字をなくしたい”
 − これが戸田城聖第2代会長の願いでした。
その思いのままに戸田会長は58年間の生涯を民衆の幸福のため、平和のために駆け抜けていきました。
1957年9月8日
横浜・三ッ沢競技場で創価学会青年部の第4回東日本体育大会「若人の祭典」が開催されました。
戸田城聖創価学会第2代会長はこの席上、世界に未来に向けて「原水爆禁止宣言」を発表しました。


原水爆禁止宣言 戸田城聖  

 天竜も諸君らの熱誠にこたえててか、昨日までの嵐はあとかたもなく、
天気晴朗のこの日を迎え、学会魂を思う存分に発揮せられた諸君ら、
またそれにこたえるこの大観衆の心を、心から喜ばしく思うものであります。

 さて、今日の喜ばしさにひきかえて、今後も、当然、難があるであろう。
あるいは、わが身に攻撃を受けることも覚悟のうえであるが、諸君らに今後、
遺訓すべき第一のものを、本日は発表いたします。


 前々から申しているように、次の時代は青年によって担われるのである。
広宣流布は、われわれの使命であることは申すまでもない。
これは、私たちが絶対にやらなければならぬことであるが、
今、世に騒がれている核実験、原水爆実験にたいする私の態度を、
本日、はっきりと声明したいと思うものであります。
いやしくも、私の弟子であるならば、私の今日の声明を継いで、
全世界にこの意味を浸透させてもらいたいと思うのであります。


 それは、核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、今世界に起こっているが、
私はその奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う。

 それは、もし原水爆を、いずこの国であろうと、それが勝っても負けても、
それを使用したものは、ことごとく死刑にすべきであるということを主張するものであります。


なぜかならば、われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。
その権利を脅かすものは、これ魔物であり、サタンであり、怪物であります。
それをこの人間社会、たとえ一国が原子爆弾を使って勝ったとしても、勝者でも、
それを使用したものは、ことごとく死刑にされねばならんということを、私は主張するものであります。

 
 たとえ、ある国が原子爆弾を用いて世界を征服しようとも、その民族、
それを使用したものは悪魔であり、魔物であるという思想を全世界に広めることこそ、
全日本青年男女の使命であると信じるものであります。

願わくは、今日の体育大会における意気をもって、
この私の第一回の声明を全世界に広めてもらいたいことを切望して、
今日の訓示にかえるしだいであります。


−−−−−

この偉大なる原水爆禁止宣言。
この勇気ある宣言によって、創価学会平和運動は確かなるものになっていった。

我々もそれぞれの地域で勇気をもって、民衆の幸福の為に我々がすべきことを実行していきたい。



家庭訪問等、現場で話していると、昭和40年代50年代の座談会の話がよく出る。
本当に楽しくって、友達も誘っていきたいと子どもながらに思った。
未来部の部員会もそうである。


今のただ形式的な座談会、協議会を勇気をもって改革していかなければ
創価学会の組織もなくなってしまう。


座談会は「座談」をし、協議会は「協議」をすべきである。
いつから座談会が「会合」になり、協議会が「連絡会」に変わったのか。


・・・・なんて事を考えているより、いつから「本来のあるべき姿に戻すかの決意」を。

私ひとりが何が出来るのか・・・
あきらめではなく、ともかくも先生が理想とされてる組織構築の為、
最前線の方々の「勇気」を期待します。  私は変えます、戦います。