対話

長い間、更新もしていない。 申し訳ありません。。。
5月の座談会は4会場へ参加させて頂いた。

内、全員発言があった所は3ヶ所。
でも、なんか不満と言うか。。。 不完全燃焼のような感じ。なぜか?

私が好きなブログの一つに「Diversity」http://hannitimura.net/diversity/という所がある。
とても共感するところの多いブログです。

座談会はいつから、対話中心ではなく、会合形式となってしまったのだろう。
 本来、座談とは文字通り、ゆっくりと腰を落ち着けて、胸襟を開いて、談を交わしていく行為をさす言葉に違いない。
その談は、予定調和ではなく定められた目的のためのものでもなく、交わされる言葉の中で予期せぬ価値が生まれいずるゆえに、
そこに集った人々の心に暖かな火を灯すことができるのである。

型にはまった活動報告、研究発表、幹部指導のどこが、座談といえようか。
会合自体を批判しているのではない。座談会が本来の座談ではなくなっていることが問題なのだ。 対話なのである。
心置きなく、日ごろ感じていること、うれしかったこと、疑問に思っていること、どうしても聞いてもらいたいことを、心の赴くままに話す。


そう、ここ。 ただの全員発言では物足りない。
「心置きなく、日ごろ感じていること、うれしかったこと、疑問に思っていること、どうしても聞いてもらいたいことを、
心の赴くままに話す。」  これがない。 これがないから、座談会が楽しく感じない。

下手にわからない事を聞くと、「もっと勉強してください」「信心が弱いからそう思ってしまう」と逆襲を受ける。

全会場で対話についての話をさせて頂いた。
5月の大百蓮華の巻頭言、そして座談会御書にも対話の重要性が書かれている。

でも、本当に「大事だな、よぉ−し、対話に挑戦しよう!」と行動する人が何人おられるか。。。

上からの指示での座談会じゃなく、もっと現場の皆さんが、座談会良かったなぁと言えるものにしようと話合うべきです。

そのためには幹部で入る人間がもっともっと勉強し力をつけないと。。。