創価学会の矛盾点??

と言う、訳のわからないブログがある。

「コメント」したいが出来ないようになっている。 だから、自分のブログに書きます。
創価大学の近くにあるのは東京牧口記念会館です。こんな基本的な事もわかってない管理者は何者??)


矛盾なんていくらでもある。 
内容見ていたら、確かに普通の生活している学生、青年にとっては、「矛盾」と言えば矛盾である。


私は創価班8期生、矛盾だらけの中で訓練を受けてきた。 だからと言って、否定した事ない。

今の男子部。学生部では考えられない言葉が飛び交う中での訓練だ!
仕事、交通渋滞で、任務に1分遅れて着いた事があった。
班長から発せられた言葉は、「ご苦労さま」ではなく、
「帰れ!遅刻する創価班なんかいらん!!」「今すぐ帰れ!」だった。。。。
その後、詰められた。
「なんで遅れた?」   「急な仕事が入り、職場を出るのが遅れ、車も混んでいました。。。」
「お前、仕事が大事なんか、任務が大事なんか、どっちや〜」    「任務です。」
 (その頃は、どっちも大事ですなんて事は許してもらえなかった。)

「仕事が大事なら、創価班辞めたらええ。
お前の為に任務に穴があき、会員さんが事故にあったら
お前、責任とれるんか??? とれんやろ!! 
だったら、やめてまえ! お前なんかいらんから。。。」

家に帰り、お題目あげながら思い返してみた。
今日の任務の無事故のお題目、真剣にあげたんやろうか??
(その頃、着任の前日は3時間唱題が常識だった。)
確かに3時間は座っていたが、
「無事故の御祈念」?????となると、
全て自分に原因がある事がわかり、二度と遅刻した事はない。

だから私はそんな矛盾だらけの組織(創価班)に感謝している。



それは、とにかく言い訳する事自体出来ない状況に追い込まれ、解決方法はただ一つ。
「題目あげろ!」
どんな時でも、言い訳せずに題目あげて解決すると言う事を体感した。

草創期、明日の食うメシもない中、宿命転換かけて学会活動に取り組んできた先輩方だから、
死にもの狂いで折伏し、題目あげて宿命転換してこられた。


今、矛盾なしで、すべて割切れる戦いしていて、はたして命の底から題目あげる事が出来るのだろうか?

そんな戦いしない限り、お題目の凄さなんてわからないし、宿命転換なんて出来ないと思う。


事実、私の息子2人とも、何不自由なしに子どもの頃から育っていて、「勤行しようか?、お題目あげようか??」
と誘っても一緒にしない。 無理やりやらされても意味ないから。。。。と、そのうち真剣に題目あげる時が来るだろう。
と思っていました。


案の定、2人とも、命に関わる問題が出てきて、必死に題目あげて解決しました。もちろん一緒に題目あげてやりました。
それ以降、ちゃんと自分で考えて人材グループにも挑戦し、すべてに勝てるように動いています。


創価学会の矛盾」の管理者は外から見ていて、それが「悪」だと決めつけているようだが、常に文句を言い、
相手の立場にも立てないような人間、相手の思いも解らないようなら、社会で勝ち残る事は出来ないと思う。
今まで真剣に祈る事さえ出来なかった人だと思う。

 
勿論、学会幹部、職員、等が正しくない時もあるかもしれないが、お金の為じゃなく会員さんの為に身体を動かす事
ができる人材グループのメンバーを批判等する前に、自分自身が、先生の側に立てる人間になってほしいものだ。
自分の為じゃなく、他人の為に時間を使う。


「先生の側」にとは、先生と同じ思いで会員さんの目線に立つ事。。。
どこかのブログに載っていたような。。。 (すみません)


なかなか出来ない事です。 でもそれが出来ないなら、幹部にはならない方がいい。     
部員さんがかわいそう。。。。


信心の究極。 それは「自身の体験」に尽きる。
「この信心は凄い!」と聞いても、信じることなんて出来ないもんねっ。