日妙聖人御書講義、勉強しました。

今月は「日妙聖人御書(にちみょうしょうにんごしょ)」を一緒に勉強してまいりましょう。

この「日妙聖人御書」は、文永9年(1272年)5月、佐渡(さど)の一谷(いちのさわ)で認(したた)められ、乙御前(おとごぜん)の母「日妙聖人」に与えられたお手紙です。

日妙聖人は、幼い「乙御前」を一人で育てながらも純真な信心を貫かれました。

文永8年(1271年)から始まった大弾圧で、大聖人は佐渡へと流罪され、鎌倉にいた多くの門下が退転してしまいました。しかし、日妙聖人はその権力からの弾圧に負けることなく、さらに信心の炎を燃やしていきました。

さらに、幼い娘「乙御前」を連れて鎌倉からはるばる佐渡の大聖人をもとめて訪ねて行くのです。今と違って、当時の佐渡への道のりは非常に大変なことでした。文永9年5月といえば、大聖人が佐渡流罪されて半年ほどであり、佐渡から大聖人が生きてお帰りになることなど望むべくもない時でした。しかし、何としても「師匠」である日蓮大聖人にむすめの「乙御前」を会わせたいとの思いで佐渡の大聖人のもとへ訪れたと思われます。こうした信心を褒(ほ)め称(たた)えられ、大聖人は「日妙聖人」という最高の法号を贈られました。

本抄の前半のところでは、「楽法梵志(ぎょうぼうぼんじ)」・「釈迦菩薩(しゃかぼさつ)」・「雪山童子(せっせんどうじ)」などの、自身の命をかけた求道心を述べられて、仏道修行のあり方を教えられています。そして、末法において「法華経」を持(たも)つ功徳を述べられ、凡夫が仏となる一切の修行の功徳は「妙法」に収(おさ)まっており成仏は間違いないことを教えて下さっています。


それでは本文に入っていきましょう。

今回は3段に分けて学んでいきたいと思います。

経に云く「如我等無異(にょがとうむい)」等云云〜難かるべからず(P91・3行目まで)>
本抄の大意でもふれましたが、前半では楽法梵志(ぎょうぼうぼんじ)や雪山童子(せっせんどうじ)の死身弘法の求道心に対比(たいひ)して、この段では、末法の人々の成仏について述べられています。

雪山童子や楽法梵志が長い年月をかけて修行した歴劫修行(りゃっこうしゅぎょう)によって得た功徳は、法華経の「妙」の一字に収(おさ)まっており、末法において、私たちが「妙法蓮華経」を受持していくならば、仏とまったくおなじ境涯を得ることができることをしめされています。

法華経方便品には「我が如く等しくして異なること無からしめん」とあります。つまり「あらゆる人々は、私(釈尊)と同じ境涯であり、すべて私と等しく、どこも違うところはないのです」と説かれています。この意味は次に示されている「法華経を心得(こころう)る者」すなわち、法華経の経文どおりに実践する者は、すべての人が「釈尊と斉等(さいとう)なり」と、仏と同じ境涯に立てるのです。との大聖人の仰せです。

 次に、大聖人は、たとえば父と母から子供が生まれます。その生まれた子供は父と母の血をついでいます。このことには誰も異論を挟(はさ)むことはありません。午王(ごおう)の子は午王であり、午王の子が師子王(ししおう)になることはありません。師子王の子は必ず師子王となります。師子王の子が人王(にんのう)・天王(てんのう)となることなどありません。
 この譬(たと)えと同じように法華経の行者は「其(そ)の中の衆生は悉(ことごと)く是(こ)れ我が子なり」と法華経譬喩品に説かれているように、「其の中」つまり現実社会に住むすべての人々は教主釈尊の子供なのです。すべての人に仏性が具わっています。その人々の仏性を開き、すべての人を仏の境涯を開かせていくために法華経が説かれたのです。この仏と同じ請願(せいがん)にたち、末法衆生を救いきっていこうと立ち上がったとき教主釈尊のように法の王となり大境涯を開いていくことは難しいことではないと仰せになられています。


現在でいうならば、大聖人直結の創価の同志とともに、先生のもと広宣流布の活動に徹していく私たちは仏と等しい大境涯を得ていくことは間違いないことを確認しておきたいと思います。


ここで池田先生の指導を拝していきたいと思います。

P93「池田名誉会長の指導から」No.1を拝読
このお手紙を頂いた「日妙聖人」と等しく、何事があっても退(しりぞ)くことのない婦人部のかたがたを最大に賞賛されています。

さらに、先生の指導を拝していきます。

P94「池田名誉会長の指導から」No.2、No.3を拝読
日々の活動に励む学会員は皆、仏子であり、宝の存在です。多くの人たちに「妙法」の功徳を語る一人一人が尊い使命を持っています。三世にわたっての福徳を勝ち取るために「師弟不二」の信心で戦っていきましょう。


それでは次にいきます。

<但し不幸の者は〜一念三千の肝心と申すはこれなり(P92・1行目まで)>

前段で、私たちは皆仏子であることを学びました。しかし、真の仏子である条件として、其の根本は「師弟不二の信心」であることを、中国古代の伝説上の帝王である堯王(ぎょうおう)と舜王(しゅんおう)の後継者選びを通して教えてくださっています。

堯王(ぎょうおう)には丹朱(たんしゅ)という太子(たいし)がいたのですが、後継者となるほどの器量がなく臣下の舜(しゅん)が大変な親孝行であることを聞いて自分の跡継ぎとして帝王(ていおう)の位を譲りました。

その舜王(しゅんおう)にも商均(しょうきん)という王子がいたのですが、舜王(しゅんおう)の多くの家臣や側近の人たちに認めてもらえず治水工事(ちすいこうじ)など功績のあった禹(う)が後継者となった。

王子・太子といっても「不幸の者」であったために一般の民になってしまったのです。の逆に、重華(ちょうか)(舜王(しゅんおう)のことです)・と禹(う)とは普通の民として生きてきたのですが、「孝養(こうよう)の心」・民を思い、王の思いに答えていったために、堯王(ぎょうおう)と舜王(しゅんおう)の二人の王は二人を跡継ぎに用いたのです。

この今まで民として生きてきていた二人が王位についたという例えは、凡夫がたちまちのうちに仏になることと同じことなのです。それが「一念三千の肝心」なのですとの大聖人の仰せです。

この例を通して、いかなる衆生であっても、御本仏の仰せのままに自分自身が妙法の当体であると信じ、唱題を重ね、広宣流布に突き進んでいくならば、たちまちのうちに仏の境涯に達することを教えてくださっているのです。


それでは次に参ります。

<なをいかにとしてか〜皮を・はいで・なにかせん>

ここでは前段を受けて。それでは妙法の功徳を最大に受けていくには何が必要なのか。それは、仏法の修行において一番大事なことは、時に適(かな)った実践が必要であるということを教えてくださっています。

どのような修行をして妙法の功徳を受けていくのか。楽法梵志や雪山童子のように皮をはいで法を求めるのか。身を投げ打って法を求めていくのか。ひじを焼いてまで法を求めていくのでしょうか。まだ「法」が説かれていない時代なのであれば命をかけて「法」を求めることが大事になるかもしれません。今はどのような時代なのかをしっかりと知っていくことが大事なのです。章安大師(しょうあんだいし)が「摂受と折伏のどちらかを用いるかは時に適して行い、片方に執着してはならない」と言われているのはこのことなのです。

正法を修めて仏になる修行は「時」によるべきなのです。日本国に紙がなければ皮をはぎ、法華経がなくて法華経を知っている鬼人(きじん)が一人でも現れたら身を投げ出し、油がなければひじを灯し「法」を求めていくべきでしょう。

しかし、今、日本の国には厚い紙がありあまっています。そんな時に身の皮をはいだとしても何にもなりません。いま末法の時代においては、不惜身命の精神を根本に、広宣流布への前進の戦いに身をおいていくことこそが真の「仏道修行」なのです。との仰せと拝されます。

この御文に続いて、師匠である日蓮大聖人を求めて、命がけで佐渡を訪れた日妙聖人は、まっすぐに法華経に生きる「実語の女人」であることを示されています。そして、その心を「日本第一の法華経の行者の女人」であると褒(ほ)め称(たた)えられ、「日妙聖人」の名前を授けられます。

ここで池田先生の指導を拝していきましょう。

P96「池田名誉会長の指導から」No.4を拝読

私たちにおいても、「広布への行動」こそが大きく境涯を開いていくということをこの「日妙聖人御書」から学び取って、強い祈りと「師弟不二(していふに)」の誓願(せいがん)の決意で、創立80周年という大きな佳節となるこの年を自身の人生での最高の喜びの年としてまいろうではありませんか。

以上



日曜日が御書講義の日です。
しっかり学んでいきます。