3月に入り

3月に入りより一層、バタバタとし出しました。

もう一度、原点に戻ろうと16日広宣流布記念の日
そして関西において大事な22日関西青年部の日を思う。

http://www.kansai-soka.jp/kansai/index.html


昭和57年3月22日。その日は私にとって永遠に忘れることがない、師弟共戦の原点の日。
初めて池田先生に出会った日である。

昭和54年の第一次宗門事件後、大きな会合等に出れなくなった先生が久しぶりに、公の場で挨拶、指導してくださった。
その日、大阪・長居陸上競技場で行われた「第一回関西青年平和文化祭」
私は3000名の組体操の中の一人として師匠にお会いした。


前年12月中頃から練習会が始まり、1月に入ると総兵庫で合同練習。
2月以降は大阪城の空き地(現大阪城ホール建設地)を練習会場として、3ケ月間ほとんど毎日練習した組体操だった。

凍った地面で、腕立て、腹筋、背筋の補強。手袋してても冷たすぎ、数分していたら、今度は体温で地面が融けはじめべちゃべちゃに。。。。
本当に寒くて苦しくてしんどい練習だった・・・


それ以上にしんどかったのが、仕事との両立だった。
5時に仕事を終え、すぐに職場を出ても、大阪城に着くのは7時前ギリギリ。
練習終りで帰って来て夜中12時前、2時過ぎから職場に帰り仕事、明け方、寝て2時間程で起床。 
当然、電車移動中は爆睡。   〜なんて生活していたんだから・・・  考えられないよなぁ。

でも、辛かったからこそ、先生の姿を見た時に涙があふれた。


先生とは文化祭、登山会、創価班任務時等、何度かお会いした。
その度、決意新たに頑張って来た。

もう、先生とお会いすることはないと思う・・・
学会のさまざまな記念日で、決意をしながら頑張っていかないと。。。。



職員幹部は今まで無意識の中で当然のように先生の出席される会合に参加し
自慢話のように先生の話をしてきたが、毎回真剣に先生の言われるとおりの戦いを
率先して戦っていれば、もっと変わっていたと思う。


最前線では、先生に会いたいとずーっと思い続けて戦っておられる錦宝会の方々ばかりだ。
先生の出席される会合に参加することなどない。
私自身も会合には同席したことはない。
会えない先生の事を思い続けて、黙々と戦っておられる最前線の方々に「申し訳ない」と
思う心があるならば、せめて現場に入れ!



4年前、長男の創価大学入学式の折、草創期から地道に頑張っているおふくろを
どうしても先生と会わせたくて、会場である池田記念講堂の入場券を渡した。
おふくろは、親父の写真と共に会場に入って行った。


息子は言う。 
おじいちゃん、おばあちゃんが先生に会うことが出来て本当に良かった。
親父の思いを叶えた事で親孝行出来た・・・と。



今年も迎え来る 3・16、 3・22、 4・2、 5・3
先生との決意を新たにして、4月の法戦、大勝利したい。