先人の言葉の重みは後から気づく事が多い

こんな時に不謹慎だと言う人も多いと思う。いろんな所でアップされているが。。。。。


東北地方の三陸沿岸地域では数十年に一回、大津波によって多くの人の命を失ってきた。
地元の先人たちは「警告」を残していた。


これは2006年NHKの三陸海岸津波に関する番組です。

『失敗は伝わらない』

http://www.youtube.com/watch?v=qkLqVr_Qk_w&feature=player_embedded



主な内容は以下の通り

大津浪記念碑

高き住居(すまい)は 児孫(こまご)に和楽(わらく)
想へ(おもえ)惨禍(さんか)の 大津浪(おおつなみ)
此処(ここ)より下に 家を建てるな


明治29年にも昭和8年にも、津波がここに来襲して、部落が全滅し、
生存者はわずかに数人しかいない、ということが書いてあります。



 何でこんな石碑がここに建っているかっていうと。
『みんな伝えたいことがあるのに伝わらないで、また同じことを繰り返して人が死んでいく。
 で、そういうことが分っているから、 せめて、石碑を建てて、次の人に伝えたい。』
と石碑ができています。


三陸の海岸にはたくさん津波のことを書いた石碑があるそうです。



ところが皮肉なことに、その石碑が建っているところより下に、人家がたくさん建っています。

どうしてこんなことになるか、というと。
三陸というのは田んぼや畑を作る、そういう場所が無くて、山がストンと海に落ちているから、
みんな漁業で生活するしかしようが無い。
そうすると、いつも海に降りていかないといけないんだから、
この、津波が来たところの高さより上に家を建てていたのでは、朝に晩に行ったり来たりしなきゃいけなくなる。
それは『すごく大変だ』ということを経験しているうちに、だんだん『道具だけは下に置いておこう』
『船は引き上げることができない』といっているうちに、作業小屋を下に建てて、で、いつの間にか。
だんだん、便利さの前に、危なさを忘れて、それで、住まいが海のほうに降りていくっていうことが起こります。
ここに住んでいる人たちは、知識としては、危ないということを知っています。



ところが、『自分が生きている間に、絶対津波が来る』というふうには思っていなくて、
『あんまり考えるほどのこともないんじゃないか』 と思いながら、
津波のことを考えないように、考えないようにして、そうして日々の生活を送っています。
知っているの?と聞いたら『知っている』 と言います。
じゃあどうするの?と言うと、『いやー、たぶん、俺が生きているあいだは来ないよ。』って、
そういう返事が返ってきます。

 その、失敗って、ほんとに起こったときはみんながとっても注意するし、そのことに関心が集まります。
しかし、時間が過ぎるほどに、そのことに関心を払わなくなって、そして忘れていきます。
で、もうひとつあります。増えていくものがあります。これは(失敗に対する)無関心と、
それから『そういうこと(対策を)やんなくたっていいんだよ』っていうごう慢さとが増えていくんです。
そうして多くの場合、だいたい30年ぐらい経つと、『ものすごく危なかった』ということはほぼ消えていきます。
ということをビデオで語っています。




私の実家(田舎)でも同じような事がありました。

一宮町の山津波  「ゴオーッ」。波打つ山肌、家のむ
 山が動いた。本当にそう感じた。一九七六年九月十三日、今の宍粟市一宮町福知地区と生栖(いぎす)地区にまたがる
「抜山」が地滑りなどを起こし、山津波が集落を襲った。台風による大雨で連続雨量は六〇〇ミリに達していた。
私の自宅も土砂にのみ込まれた。

 当時は高校一年生。学校は臨時休校だった。午前七時半ごろ、山の方を見ていた祖父が言葉にならない叫び声を上げた。
慌てて外に飛び出したら、自宅から百数十メートルほど山側にある民家一棟が土砂に埋まっていた。

 二階から救助活動を見ていたが、パトロールをしていた警察や消防の指示で、午前九時ごろに避難を始めた。
その時は、自宅まで土砂が押し寄せるとは思ってもいなかったので、途中で立ち止まって振り返ったりしていた。

 三十分後、山が一段と大きく崩れた。「ゴオッー」という、地の底から沸き上がるような不気味な音だった。
最初は木が立ったまま山肌がずれ落ち、その後、木を巻き込みながら波打つように流れた。
目を奪われているうちに土砂が自宅を襲った。半分ぐらいまで埋まると、ぐしゃっと崩れて屋根までのみ込まれた。

 「これはただ事じゃない」と思い、必死で逃げた。

 振り返れば、前兆現象はあった。前日の夕方、雨が止んだのにゴロゴロと雷が鳴るような音がしていた。
山(地)鳴りだったのだろう。

 その後四年間、仮設のプレハブで暮らした。土砂に埋まった家の跡地からは写真一枚さえも見つからなかった。

 この災害では、幸いにも避難した人は全員助かった。地元に伝わる「抜山伝説」が役立ったのだと思う。
二百、三百年前にも「山が抜けた」らしい。
幼いころ、多くの子どもがそう教わった。大人たちはその伝説が脳裏によぎり、素早く避難したのだろう。
高校生の私にとっては「昔話」だったが…。

 来年は、あの山津波から三十年。昔話にならないよう、語り継ごうと思う。



こういう手記がある。 もう35年前の話だ。
当時は中学生だった。。。 体育館は災害救援物資で溢れ返っていた。


我々は小さい時から、祖父母から色々と「昔からの言い伝え」を聞いている。
数百年経った今でも、いくら便利でも、あの区域には家は建てちゃイケナイ!
こんな現象が起きたらこういう行動をとれ!  など。。。


私の田舎の集落は谷の北面側にしか家はない。
南側は広い土地が有り余っているというのに。。。。
実際、南側の山は幾度となく土砂崩れを起こしている。。。。


先人達の言葉は大事に守っていくべきだと思う。。。。


ただ、ちゃんと言伝えを守り、
今回の震災も難を逃れた人もたくさんおられる事も解っています。



今住んでおられる皆さんの土地に昔からの言伝えがあると思います。

今一度、先人たちの声に耳を傾けてみてはいかがでしょうか?