日顕宗がウロウロしているようで。。。

最近、組織内を日顕宗の檀徒がうろつき、
相変わらず、「ニセ御本尊拝んでたら地獄に落ちる!」などと
懲りもしないで、ざれ言をほざいているようで。。。

何度もフェイクなどで破折しているのに、ニセ法主を筆頭によほど頭が悪いようなので、もう一度おさらいしよう。


◎フェイク 第1056号 2009年(平成21年)9月29日(火)
「日如の模写本尊は拝む気がしない」
二人のニセ法主・日如、日顕の邪義を粉砕 ①
許し難い、寛尊の御本尊を誹謗する日顕宗僧俗

日顕宗のニセ法主二世・早瀬日如が九月度の広布唱題会(本山客殿)の席で、学会が授与している日寛上人御書写の
御形木御本尊を「ニセ本尊」呼ばわりして、こんな戯言を述べていた。
「間違った信仰、例えば池田創価学会のように『ニセ御本尊』を拝んでいたのでは、幸せになれる道理はなく、
『ニセ御本尊』こそ不幸の根源であり、血脈正統の本宗の御本尊以外に私達が幸せになる途(みち)は絶対にない」
 こんな日如の妄言を真に受けた法華講員らが各地で「脇書きを削っている」「開眼がない」「法主の許可がない」
などと暴言を吐いて非難している。
 この「ニセ本尊」という批判に対し、これまで繰り返し粉砕してきたが、改めて、日寛上人の御形木御本尊に対する
日如ら日顕宗僧俗の誹謗に対して、①相貌(そうみょう)②授与書き、③開眼、④許可、の四つの視点から破折を加える。

 その前に、日如が模写した本尊について簡単に触れることにする。
 日如が模写した御守本尊(フェイクには写真あり)が法華講に出回り始めた一昨年一月、著名な書道家(B展審査員)が、
その本尊について次のように酷評した。
「これは文字がオドオドしているし、たどたどしい筆跡だ。まるで小学一年生が初めて筆を持ったみたいで、おっかな、
ビックリで書いているから、こんな幼稚な文字になる。字が上手い、下手というより、人生七十年も生きていると、
文字にもそれなりの風格が出てくるものだが、この本尊の文字からは、それがまったく感じられない。所化小僧が住職に
隠れてイタズラ書きしたような文字で到底、褒められたものではない」


 また、本尊の相貌などについても幾つかの難点がある。
 更に「余りにも下手な字で到底、拝む気にならない」と言う法華講員もいる。
 こんな粗末な模写しかできない日如が寛尊の御本尊を誹謗した妄言を粉砕する。


 学会こそが広宣流布を目指す唯一の「信心の血脈を受け継ぐ仏意仏勅の和合僧団」であり、「僧宝」の意義の上から
平成五年九月、授与を決議した日寛上人書写の御形木御本尊は、同上人が享保五年(一七二〇年)に認(したた)められて
、開基約七百年の古刹である淨圓寺(栃木県小山市)の寺宝として所蔵されてきた由緒ある御本尊である。


 「六巻抄」や数々の「文段」を残され、その中でも特に「我等この本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、
我が身即ち一念三千の本尊、蓮祖聖人なり」(観心本尊抄文段)等と大聖人直結の信心を強調された。
また大石寺内に「常唱堂」を建立するなど大聖人直結、御本尊・唱題根本で広宣流布に邁進されたのが日寛上人で
あった。



◎フェイク 第1057号 2009年(平成21年)10月2日(金)
慢心の日顕が日寛・日亨上人を侮辱
二人のニセ法主・日如、日顕の邪義を粉砕 ②
学会授与の御本尊は草創期に受けたのと同じ相貌

 日寛上人は、前号で述べた通り日蓮大聖人直結、御本尊と唱題根本で広宣流布に邁進された中興の祖である。
その意味で、世界広布に邁進する創価学会の信心と合致している。この点、教学が苦手で御書も読めず、講義も出来ず、
題目はあげない、朝夕の勤行も殆どしない、折伏も出来ない無能で信仰心の欠片もない日如とは正反対である。
その日如が、日寛上人の御本尊をニセ呼ばわりするとは増上慢も甚だしい。


 日如は法門に関する知識は「所化並み」と言われており、日寛上人の御形木御本尊を「ニセ本尊」と言うだけで、
その理由には一切、言及していない。
 ところが、ニセ法主元祖の日顕が平成九年八月二十八日の「八時間説法」で、日寛上人の御本尊の相貎に難癖をつけて
「日寛上人の御本尊様は……戒壇の御本尊様の十界をお書きになった御本尊様が一幅もないんです。全部、略本尊なんです」
「こんなこと言うと、まあちょっと、悪いかもしれないけどね」と中興の祖を侮辱していた。

 この他にも日顕は、日亨上人とか歴代法主を小馬鹿にする発言が目立つ。特に、平成四年八月、全国教師講習会の際、
碩学日亨上人を批判した事実を忘れてはならない。

 日顕は「堀上人がね、チョットわけ分かんないようなこと仰っている」と非難。活字では雰囲気が伝わらないが、
侮辱した口調だった。 日顕は言葉を続け「堀上人はね、学者だから……だから、あんまり会通がないんです」

 日顕が言う、日亨上人の「わけ分かんないこと」とは、謗法坊主の日精について生涯、造仏読誦論者であったと日亨上人が
批判されたことを指す。「わけ分かんないこと」を口走ったのは日顕の方なのである。
 この慢心の日顕は、日寛上人の書写の作法にも言及。「八時間説法」の小冊子では、都合の悪い個所は削除しているが、
日寛上人の御本尊の相貎まで云々した大増上慢である。

 また「二乗が欠けているから二乗作仏の意義が…」と言いかけた時、場内の異様な反応に気付き、慌てて「略本尊も正本尊も、
悉く尊い御本尊であり、一切唱題の功徳に相違はありません」と取り繕った。
 
これは当然で、日興・日目上人書写の御本尊にも十界の代表しか挙げられていないのがある。特に、学会が現在、授与
している御本尊は、草創期に流布した日寛上人の享保三年の御本尊と全く同じ相貌なのである。
 学会員は、その御本尊を信受し、何百万もの人々が厳然たる功徳の実証を示したのであった。
 こうした過去の経緯があるため、日顕も、日寛上人の御本尊の相貌にケチをつけながらも「略本尊だからニセ本尊」とは
言い切れず、「授与書きの削除」「法主による開眼がない」「法主の許可がない」と文句を言うしかなかった。

 だが、これも日顕の邪見である。御本尊の本義、宗門の歴史から見ても、すぐに化けの皮がはがれる難癖でしかない。



◎フェイク 第1058号 2009年(平成21年)10月4日(日)
「御本尊を信じられず苦しい」と日顕
二人のニセ法主・日如、日顕の邪義を粉砕 ③
日寛上人の御心に適う世界の人々への授与

 日寛上人書写の御本尊を誹謗する日顕は、絶大な妙法の力用を疑っているのである。事実、東京・八王子の平山広篤(広妙寺)
が昭和六十一年六月十三日、御講で、日顕の不信謗法を暴露した。
「(日顕に)私が『信心してきて一番苦しんだことは何ですか?』と質問した。
 すると『なかなか御本尊を信ずることができなかったことだ。今でも本当に信ずることができないでいる』と仰せられた」
 
 この平山の話を聞いた婦人は強い衝撃を受けて日記に記していた。

 この一事が日顕の正体を物語る。御本尊の仏力、法力を信じていないからこそ、日寛上人の御本尊に平気で難癖をつける。
その難癖の一つが授与書きについての言い掛かりである。

 日寛上人から授与を受けた本證房日證師への授与書きが御形木御本尊にはない点を挙げて「日證師の心を踏みにじる」
「功徳がない」と愚かなことを言う。
 御本尊の余白に記された氏名は日興上人が「所賜の本主の交名(きょうみょう)を書き付くるは後代の高名の為なり」
(富士一跡門徒存知の事)と述べられているように、授与を受けた人の功績を称え、証明する意義がある。
 しかし、その名前は御本尊の本体に属するものではなく、授与書きの有無は、力用とは何ら関係がない。
また、書写した法主及び授与された人の心を踏みにじるとか、その意志を傷付けることにもならない。


 日顕自身、説法の中で弘安以降に書かれた大聖人の御真筆の御本尊でも授与者の名前のない例が二割近くある事実を
認めていた。つまり、授与書きが御本尊の本体には属さないことを自らが明かしていたのである
 また、日顕らは「日證師個人に授与された御本尊を世界に流布するのは罰がある、功徳はない」との邪見を得意気に
言うが、厳然たる功徳があることは世界のメンバーが証明している


板本尊の脇書きを削っていた日顕
 日寛上人が御本尊を書写された御心は広宣流布にある。その御本尊を寺の倉庫に保存しておくのではなく、世界の人々に
授与することこそ、日寛上人並びに日證師の心に最も適(かな)っているのである。


 更に、付言すると、学会が授与している御形木御本尊は、日顕宗の輩が騒ぐような「授与書きを削った」わけではない。
正しくは「御本尊の本体の部分だけを御形木御本尊にした」のである。淨圓寺に所蔵されていた御真筆の御本尊の授与書きには、
何一つ手は加えられてはいない。
 因みに、学会草創期に授与された日寛上人の御形木御本尊も、近年の御形木専用に書写された御本尊と違って、左上に
「授与之」という文字が記されていない。
 ということは現在、学会授与の御本尊と同じように、御本尊の本体の部分だけを御形木にして印刷したものであったことが
明白である。


 この脇書きに関しては、日顕宗こそが寺の本堂の板御本尊の脇書きに刻まれた、かつての総講頭の願主名を削り、
或いは漆で塗り潰して見えなくするなど、その御本尊を書写した日達法主らの心を踏みにじっていたではないか。


◎フェイク 第1059号 2009年(平成21年)10月11日(日)
開眼は不要、世界の友が功徳満喫
二人のニセ法主・日如、日顕の邪義を粉砕 ④
日顕の妄言、御本尊の功力は特定の人に限定?

 日顕は、今でも御本尊を信じていないため、日寛上人書写の御本尊に暴言を浴びせる。日寛上人が日證師に与えられた
「一機一縁」の本尊だから、御形木にして他の人が拝んでも功徳はない旨、バカなことも言っていた。
まるで、御本尊の功徳が特定の人に限定されるかのような妄言である。

「一機一縁」とは大聖人が門下に授与された御本尊について使われる言葉で、出世の本懐たる「一閻浮提総与」の大御本尊と
区別する意味で用いられる。


 つまり、「一機一縁」の御本尊とは、本来は大聖人ご在世当時、門下に与えられた御真筆の御本尊のことを指す。
日淳上人も大聖人御在世の弟子や信徒を導くために授与された御本尊を「一機一縁の御本尊」だと明示されている。
 こんな初歩的なことも知らないで、日寛上人の御本尊について「功徳がない」とは大謗法の発言である。
 厳然と功徳があることは世界の友が実証している。


 次に、日顕御本尊には法主による開眼が必要であるとして「以前から今日に至るまで、あらゆる御本尊は、下附のために
総本山から離れる前に、丑寅勤行において法主が祈念をしている」
とも語っていた。
 この日顕の話は真っ赤なウソである。本山での法主の開眼など御形木御本尊については行われていない。 
日顕は「以前から」とか「古来」という言葉を使って、昔から法主が開眼した御本尊を授与していたかのように誤魔化すが、
学会の出現以前は日蓮正宗に入信する人は殆ど皆無に等しい状況だった。

 だから、御本尊を下付する必要もなかったのである。時折、入信する人が現れた場合、それぞれの末寺が勝手に御本尊を
授与していた。
 当然、法主がその都度、開眼するとこともなかった。たとえば、東京の妙光寺が下山日布(五十五世)、法道院が大石日応
(五十六世)、常在寺が阿部日正(五十七世)と、それぞれ有縁の法主の御形木を持っていて、勝手に印刷・表装し、授与
していたのである。


淨圓寺が離脱の時、「しまった」と日顕
また、香川の讃岐本門寺では過去に、塔中坊に安置されていた日興上人の御本尊を御形木にして多くの檀家に下付していた。
更に、学会員が草創期に授与を受けていた日寛上人の享保三年の御形木御本尊は池袋の法道院で印刷し、各末寺は本山を経ずに
直接、法道院から受け取っていた。

 
 即ち、学会草創期に流布した享保三年の日寛上人の御形木御本尊は、相貌も、授与書きがない点も、法主による開眼などが
なかったという点までも、現在の学会授与の享保五年の日寛上人の御形木御本尊と全く同じなのである。

 こうした事実を知っている日顕は、平成四年十一月十二日、淨圓寺の成田宣道住職が邪宗門から離脱した時、周囲の者に
「しまった、あの寺には日寛上人の御本尊があったな」と悔しそうに呟いた。

 それは以前の妙光寺法道院、常在寺と同様に今度は浄圓寺の申し出によって、日寛上人の御形木御本尊が下付されるように
なると、それを阻止する正当な理由がないからだ。



◎フェイク 第1062号 2009年(平成21年)10月21日(水)
「法魂」の説明もできない日顕、マネする小僧共
二人のニセ法主・日如、日顕の邪義を粉砕 ⑤
狂った宗門見解 御本尊に賞味期限?

 日寛上人の御形木御本尊を誹謗する日顕宗の悪僧共は「法魂」とやらを持ち出す。十月十六日付「大白法」の「異流義破折」
(九三)の中でも、性懲りもなく「法魂」説を唱えている。
 この「法魂」という言葉は御書には記されておらず、日顕の妄言である。
それを真似て「大白法」では「歴代各上人の御本尊の
すべては、もぬけられて本尊の法魂は現法主の承るところにあり……」「御法主上人は御本尊の法魂を所持あそばされるのであり……」
等とヒステリックに繰り返している。
また、「御火中」と称して返納御本尊を焼却することで、その法魂が「大聖人のもとに還御遊ばされる」という「法魂帰還説」
なる邪義を唱えたこともあった。これらは全て日顕宗の「捏造法門」なのである。


 「大白法」の記事を書いている無任所小僧共よ、「法魂」とは何か説明できるのか? 大聖人の霊魂のことか?
 無我を説いた釈尊は真っ先に霊魂の存在を否定したではないか。お前達は、それでも仏教徒なのか?

 日顕宗が御形木御本尊の開眼を全くしていないことは本紙でも再三、述べたが、一つの法魂が印刷する度に何千、何万の法魂へと
増殖し、分裂するとでも言うのか? 「法魂」と言い出した日顕自身、その意味を問うても回答できない。
小僧共も意味不明のまま、日顕の口真似をして誤魔化しているに過ぎない。
本号では「大白法」の小僧共に、自分達が判りもしない言葉を使って御託を並べるな、と釘を刺しておく。


日顕が日寛上人に嫉妬
 最後に、日顕宗側の難癖に「法主の許可がない」というのがある。本紙1057号で述べた通り、学会草創期に流布した享保三年の
御本尊と現在の学会授与の御本尊が、その実態において全く同じという事実を日顕も知っている。
故に「八時間説法」でも二つの御形木の違いは、法主の允可の有無だと述べていた。
 御書には「一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹(つつ)み末代幼稚の頚に懸けさしめ給う」と
記されている。御本尊は大聖人が末法万年の全人類のために御図顕されたのである。
 その大慈悲こそ御本尊授与の根幹であり、坊主が独占すべきものでも、許可する云々と、言うべき筋合いもない。
日顕は御本尊の功徳は信じていないが、己の模写した本尊を拝ませたいという野心が強い。
難癖の根底には、世界に流布する御本尊を書写された日寛上人への嫉妬心があるのだ。


 日顕らは自分らの都合で御本尊に「功徳がある」と言ったり「謗法になる」と言ったり、コロコロ変わる。
滑稽なのは平成九年十一月三十日までに脱会しないと「宗門の信徒資格を失う」と戯言を述べていた時の総監・藤本の談話で
日蓮正宗より下付された御本尊ではあっても、これら謗法者宅の仏壇に安置されている本尊に合掌礼拝をすることは謗法行為
となる」云々と、学会員が受持する御本尊は日達法主、或いは日顕が書いた本尊でも平成九年十二月一日からは「謗法だ」と
発表したことがあった。
 まるで、御本尊に賞味期限があるかのような狂った妄言である
。(つづく)



◎フェイク 第1063号 2009年(平成21年)10月24日(土)
日如が模写した本尊に誤字!
二人のニセ法主・日如、日顕の邪義を粉砕 ⑥
「南」「写」の二字が間違い、猛練習の効果なし

 日顕宗ニセ法主二世・早瀬日如が模写した御守御本尊に誤字がある、と書道家、中堅僧が指摘する。
「奉書写之」(これを書写し奉る)の「写」を「字」と書き間違っているというのである。(フェイクには写真掲載)
 確かに指摘の通りである。この「奉書写之」は大抵、終わり近くになって書くものだから、日如もここまで緊張して書いて、
つい気が緩んで三画目が突き抜けてしまったのだろう。
これでは「これを書写し奉る」ではなく「これを書き字し奉る」となってしまい、意味不明だ。


 日如は「誤字ではない」と弁解するかも知れないが、「ワ冠」が「ウ冠」になっていて、明らかに誤字に違いない。
正確な文字も知らないうえ、相承を受けていないニセ法主二世だから、本尊の書き方も出鱈目なのである。
こんな間違いの粗末な模写しか出来ないニセ法主が、中興の祖・日寛上人の御本尊を「ニセ」と誹謗するとは笑止千万!
 埼玉在住の著名な書道家は、その日如自身の筆遣いについて「論評の埒外、お粗末の一言に尽きる。
筆ペンかサインペンの字で、書になっていない。太細肥痩の変化がなく、起筆と終筆がだらしない。
筆遣いの基本ができていません。前法主日顕)の字は弘法大師空海)を真似たイヤらしさが感じられたが、
この(日如の)字は論外です」と酷評する。こんな下手な字を書く坊主も珍しい。


 加えて、日如が模写した本尊の「南無」は「南」の九画の縦棒が上に突き抜けている。これも間違いだ。
 前出の僧も書道家も「御本尊のこんな首題は見たことがない」と言う。この「南」は今号では敢えて写真を提示しないが、
宗門の僧俗は現物を見て確認せよ。下手な弁解をすれば、いつでも写真を提示する。


 この点でも日顕と日如がニセ法主であることが明白だ。もともと、日達法主日顕相伝していないから、
日顕も日如に相承できなかったのである。
 また、中堅僧は「多分、登座後に猛練習したのでしょうが、他にも幾つかの難点がある」と指摘する。

 その一つは「日如」と花押が離れすぎている感がある(フェイクには写真あり)という。
日蓮大聖人の弘安年間の御本尊がそうだが、大半の歴代の御本尊では法主の花押は自署を包むように書かれている。
ところが日如の場合は分離しすぎている。花押の書き方も学んだ形跡がない。お粗末の極みだ。



◎フェイク 第1064号 2009年(平成21年)10月27日(火)
ブクロの寛ちゃんに書写は無理
二人のニセ法主・日如、日顕の邪義を粉砕 ⑦
「日如の本尊の誤字」に反論不能の宗門
 

 ニセ法主2世・早瀬日如が模写した御守本尊に誤字がある——
「奉書写之」と書くべきところを「奉書字之」と書いているため意味不明だと、本紙1063号で指摘した。
写真を付けて指摘したので宗門側の関係者は弁解も反論も出来ず、屁理屈や逃げ口上も言えずに沈黙している。


ところが、南無妙法蓮華経の「南」の終画が突き抜けている旨、記しておいたことに対する釈明として、
日顕宗の者が他宗の寺に保存されている御本尊の写真を持ち出し「大聖人の直筆の中にも同じような御本尊があった」
と鬼の首でも取ったように狂喜している。
 なんともバカな者共だ。そんなことは既に百も承知している。

本紙ではニセ法主が本尊を書くのを「模写」と呼んでいる。
だが、日顕は生意気にも「書写」と称し、日如は「書字」というらしい。
 いずれにしろ、書き写すのは「戒壇の御本尊」である筈だ。日蓮正宗の最後の法主細井日達師も「戒壇の御本尊様を
書写し奉る」と言い、この種の表現は「日達上人全集」を開くと枚挙に暇がない、山ほどある。


 更に「この御本尊は本山正本堂に安置し奉るところの戒壇の大御本尊を書写し奉り、ここに安置奉ったのでございます」
(昭和四十九年の慈法寺落慶入仏式)、「末法の人々に総与の本尊がすなわち戒壇の御本尊であります。
この御本尊を本山正本堂に安置し奉って、その御本尊のお写を、ここに今、安置し奉ったのでございます」
(昭和五十二年の得法寺落慶入仏式)と明言。繰り返すが、書写するのは戒壇の大御本尊である。


 この歴代法主が書写し奉る「戒壇の御本尊」の「南」は突き抜けていないのである。したがって、日顕宗の僧俗が「邪宗」と
蔑んでいる寺の本尊を「学術資料」等と持ち出して弁明しても、何の意味もない。
こんな簡単な論理も理解できないほど狂っているのが日顕宗の坊主であり、法華講員である。


日顕のマネで大失敗
大聖人の直筆の中で「南」の九画目が突き抜けているのは、現存する百二十数幅のうち約一割。判読できないのもあるので
断定は出来ないが、京都・本圀寺、要法寺、小泉・久遠寺などに保存されている十四ないし十五幅にすぎない。


因みに、日興上人、日寛上人をはじめ三十三世日元、四十八世日量、五十一世日英、六十世日開、六十二世日恭、六十四世日昇、
六十六世日達の各法主の書いた本尊も突き抜けていない。
 

 ところが、ニセ法主元祖の日顕の本尊だけは上に突き抜けているものも見受けられる。「登座後、暫くは先代の書写のスタイル、
書風に似せる」と某僧が語っていたが、御本仏気取りの日顕は、先代の日達法主のマネをしないで、戒壇の御本尊を鑑定して
「ニセモノ」と断じ、邪宗の寺の御本尊を真似て書いたのであろう。

そこには自分に相承しなかった日達法主への恨みもあると思われる。
そして愚かな日如が、先代の日顕のデタラメな本尊をマネして、オドオドしながら書いて失敗したというのが真相だろう。
それにしても下手な字だ。ブクロの寛ちゃんに書写は無理だ。




◎フェイク 第1065号 2009年(平成21年)10月30日(金)
誤写した「手抜き本尊」で金儲け
二人のニセ法主・日如、日顕の邪義を粉砕 ⑧
宗門坊主は「法華経の行者」でなく「法華経の業者」

 日如の御守本尊に誤字があると指摘した本紙1063号・1064号に対し日顕宗の者共は反論不能である。B展審査員の著名な書道家
「書の大家でも最後の落款で意に沿わない場合は最初から書き直すものです。
法主と称するからには御本尊を認めて『書写』か『書字』か、判読に迷う文字は当然、最初から書き直すべきです。
それをしないとは、『手抜き本尊』と言われても仕方ありません」と厳しく指摘した。

日顕が讃文の「未曾有の大曼荼羅なり」などを書き忘れた事実は有名だ。日如も同様、誰も気付かないだろうと甘く見ていたのか
、文字を知らないから自分では間違いと思っていないのか?
 或いは御本尊を大聖人の御当体ではなく、単なる文字だと思っているから「書字」と書いたのかも知れない。


日如も日顕も、御本尊に対する姿勢が実にいい加減である。本尊書写も金儲けの手段に過ぎない。
これが「法華経の行者」ではなく「法華経の業者」と揶揄される所以である。


 さて、本号では南無妙法蓮華経の「南」について再度、指摘する。日如が模写した首題の「南無」の「南」は、
九画目の縦棒が上に突き抜けている(フェイクには写真)。

日如は国書刊行会の「御本尊の書き方」(有賀要延・編著者)を見て猛練習したということだが、その甲斐もなく、
お粗末な模写である。因みに下が「御本尊の書き方」の手本である。(フェイクには写真)。


「富士宗学要集」(堀日亨上人編)に収められている本尊の首題を見ても「南」(フェイクには写真)の九画目の
縦棒は当然、突き抜けていない。

「御本尊の書き方」には書写の心得として「斎戒沐浴して」と記されている。

 日顕のようにステテコ姿で落語を聞きながら書くのは言語道断。また首題の筆法は「筆は軸を立てて用い、
鋒先の弾力性を充分に活用する」とある。日如みたいに拳法に熱中しヌンチャクを振り回していた手に筆を持つと
余計な力が入りすぎ、柔らかい筆遣いができない。


しかも、七十歳を過ぎてからでは猛練習も手遅れである。日顕があと十年早く退座していれば、日如も少しはマシな
本尊の模写ができたのに、残念だったな。
 以後は寛尊の御本尊を誹謗するのを止めることだ。