家庭訪問・対話

この1週間は7人の方を訪問し対話した。
だいたい、1時間〜2時間じっくりと話をするので一日一軒しか回れない。
しかし、話していると懐かしい話とか、本音の話とか。。。 本当に有意義である。


久しぶりに青年部時代に一緒に戦っていた方々とも会って確認した。

6月以降の戦いの「地区発」「自分発」をどう考えるか??
私の意見は6/8のブログのとおりだが。。。

皆もいろいろと思う所があるらしい。
とにかく、区や県で{本当の協議」をしないとイケナイ。。。 と言う事になった。
最近の執行会議は時間がなくて、連絡一辺倒だから・・・


区長、県長に男子部幹部も交えて次のメンバーを集めて意見交換出来る機会を取ってもらえるよう
お願いしてみようと思う。




以下の内容はある全国幹部が13年前に寝屋川に来られた時のご指導だが。。。
今、もう一度「信心とは?」と考える時に大事だと思うので、アップしてみた。


信仰は頑張るためにやるのではない。変るためにやるもの。何が変るのか?
生活が変り、生命が変り、環境が変る。変るための信仰。頑張っていれば変るのではない。変るために頑張るべきなんです。
自分のこと、家族のこと、仕事のこと、組織としてのこと、何項目でもかまわない。具体的にいつまでにこうしようと決めること。
その上でそれをご本尊に強く祈って必要な行動をすれば必ず結果が出る。決めて祈り、祈って動くこと。

 意外とこれを決めないで頑張っている。婦人部が祈っているのは成果だけ。変ろうと思っていない。
だから功徳が出ないから行き詰まってしまう。変ろうと決めて、祈って動けば結果が出る。信心は簡単です。

よく戸田先生が、『医者にかかって治るものは医者にかかれば早く治る。医者が見放したらもうこっちのものだ。
もうご本尊しかないと決めたときから治りはじめるんです。』とおっしゃっていた。
もうご本尊しかないということは、自分の力で治すしかないということ。
そう決めて祈ったときに自分の持っている生命力と智恵が湧くんです。仏界が出てくるのだから。

 婦人部はよく壮年部に怨嫉している。理由はわかる。 でも壮年部は、悩まない・動かない・祈らないから
怨嫉したくもなりますよね。「正しい怨嫉」です。でも功徳は消えてしまう。それではつまらないから、壮年部には怨嫉しないこと。
 どうしたらいいかというと、頼りにしないこと。頼りにするから腹が立つ。何故かというと、壮年部はまだ未来部。
昔から全然成長していない。しかも本人たちは悩んでいないから。頼りにしないで成長を祈ってあげること。

 水道の蛇口から水がポタポタと垂れているのをバケツにためても、穴があいていれば全部もれてしまう。婦人部はこれに似ている。
愚痴の穴・文句の穴・怨嫉の穴があいているから功徳がみんな漏っている。
 「愚痴を言わない」「文句を言わない」「怨嫉しない」、これを「三悪追放」という。功徳を消さないコツ!
その上で決めて祈って動いたら功徳が溢れてくる。その方が得。
 信仰は心ですること。頭でするのではない。心を素直にぶつけることを祈りという。できるかどうかではなく
「こうなりたい!」と祈ればいい。必ずそうなる。信心は簡単です。

 信ずるとは疑わないこと。どうしたら疑わないか?自分が体験したことは疑いはないから信じる。
この体験は活動体験ではなく功徳の体験。活動体験ではだめ。活動体験ばかりいっぱいしても、功徳を受けなければ不信になる。
今は活動体験止まりが多い。かえって不信になる。

 先生は「信心は義務じゃないよ。幸せになる権利だよ。自分が決意して自分が動いた分だけ自分が得をするんだよ。」と言われている。
自分のためだから喜んで頑張れば功徳がある。しょうがないから頑張ったら惰性で空転する。形は同じでも結果はえらい違い。
幹部に褒められても、ご本尊に褒められなければだめ。

 今は幹部公認・ご本尊非公認になっている。功徳がないということはご本尊に通じていないということ。これではつまらない。
ご本尊に認めてもらうのが信心。功徳を受けない信心と儲からない商売はやめることです。
信仰とは夢があり、希望があり、ドラマがあり、喜びがある。
こうなれば言いのになあというのが夢。 こうしよう・こうなろうというのが希望。 
その希望を具体的に強く祈れば、その希望が実現する。それが信仰。
うんと夢をもって、その中からまず具体的な希望をたてて、祈って実現していく。

戸田先生は「祈りを叶え、夢を叶え、誰よりも幸福になっていくための仏法である。人生を勝利するための仏法である。
祈りが叶ってこそ真の仏法である。」と言われた。 幸せになるための信仰。祈りを叶えるのが信心。
 戸田先生は「現代の人間は非常に欲張りでありながら、成仏という絶大な利益を願わない点においては、無欲とも愚か
ともいうよりほかはない。私どもは大いに欲張って、生きていること自体が嬉しくてしょうがないという絶対的幸福の境涯を、
我も開き友にも開かせていこうではありませんか。」と言われた。
 もっと欲張りましょう。うんと欲張って、何を願っても良いんです。人の不幸は祈ってはいけませんが、それ以外は何を祈ってもよい。
あれもこれも願いを叶えて、その歓びを分けてあげましょう。 それが広宣流布。功徳が無くて人に言えますか?それは詐欺。
仏法を語るのではなくて信仰の歓びを語ること。歓びが伝わる。 御書に「喜び身に余るが故に堪え難くして自讃するなり」とある。
嬉しくてしょうがないからつい「仏法はすごいよ」と言ってしまう。これが本当の折伏


先生が「皆さんの健康・長寿・幸福・裕福を祈ってますよ。」といつもおっしゃる。
 健康・裕福になることが先生に応えること。「こんなに幸せになりました。そしてみんなを幸せにしました。」と報告すれば、
先生はうんと喜んでくれる。 「みんな頑張ってます。でも変ってません。」では、先生は悲しみます。
今は先生を悲しませている。先生は幸せの指導者・広布の指導者。功徳を受けない信仰は間違った信仰。惰性と義務になっている。
ギアさえ入ればワアッと変る。なんでも叶う。これが普通。
 それを聞いた婦人部の幹部が「私も祈ろう!」と100項目祈りだしたら、どんどん叶い「あれっ?祈りって叶うんだ。」と言っていた。
祈りは叶って当たり前。祈ってないから叶わない。もっと欲を出して叶えましょう。

頑張るばかりでは「仏道苦行」で楽しくない。「成果の無間地獄」です。功徳を受ける連続チャンスだと受け止めれば功徳を受けるチャンス。
やらされると思ったら苦しみになる。信心をしてれば何とかなるというのは最高の迷信。祈った分しか叶わない。

 ご本尊が決めるのではなく自分が決める。だから「心こそ大切なれ」である。どういう心で頑張るかである。仏法に形はない。
 どうやって紹介するのか?自分が体験をして、生活・生命が変った実証で相手に納得させるしかない。それが私たちの使命。

 それが広宣流布。私たちは自分のためだけに信心しているのではない。広宣流布を願って信心をしている。
広宣流布とは不幸の追放運動・幸せの拡大運動。「悲惨の二字をなくそう!」と戸田先生が言われた。不幸をなくして幸せを広げるのが広宣流布
 具体的には地域の世帯増と功徳増。本部であれ支部であれ地区であれ、それをまず祈ること。
「25の地区を30にしよう!180部の新聞を200部にしよう!地域の広宣流布を進めよう!幸せを拡大しよう!」
と祈ることが広宣流布を祈ること。

 成果増は祈っても世帯増は祈っていないから世帯は増えない。成果は黒字だが広布は赤字。これを「広布の粉飾決算」という。
これではそのうち破産する。幹部は成果の責任者ではない。今は成果の責任者、それも下請け・成果の現場監督になっている。

 それではつまらない。幹部はその地域の幸せの責任者。「我が地域のみんなを幸せにしよう!」と祈ればそれだけで福運がつく。
世帯も増える。世帯は祈らなければ絶対に増えない。その上で、成果は世帯増のための手段。広宣流布を祈った上で成果を祈るのはよい。

 まず広宣流布を祈ろう。その上でそのためのいろいろな活動の目標を作るのは大事。これらは全部手段。成果は目標ではなく手段。
成果が目的になっているから重荷で苦しくなる。


 ブロック1の目標が出る。これを「B1地獄」という。ブロック1がノルマだと思うから重荷になる。ノルマではない。最低ライン。
「ブロックで一人くらい不幸な人を救おう!」ということ。
 これはB担が決意すればおしまい。B長はまあ決意しませんから、B担が決意して折伏ができたとしても功徳は山分けではない。
先着1名だけ。みんな「ブロック1できますように。私はできませんけど。」と祈っている。これは変。これでは誰もできない。
「私がやります!」と決意すればできる。


 地区幹部が1世帯以上やると決意すれば地区5は簡単にできてしまう。簡単にできるのに、みんな決意しない。
幹部はやらせる信心をしているから功徳がない。信心はみんなで頑張るものではない。「一人立て」です。
「私頑張ります!」という人に功徳がある。 そういう人がたくさん生まれれば、たくさん成果が出て功徳をいっぱい受ける。
私たちはいろいろな活動をしている。みんなを味方にする運動。みんなを折伏する運動ではない。
みんなに学会・仏法を理解させていく運動。誰でも彼でも 折伏する必要はない。誰でも彼でも味方にするのはかまわない。ここを間違えないこと。


 今悩みがない人・悩みがあっても悩んでいない人を折伏すると嫌われる。結構そういう人を押し込んで折伏して嫌われていませんか?
友達をなくしている。健康な人に薬を飲めと勧めても嫌われる。

 「いい薬だから病気になったらお飲みなさい。」と教えておくのはかまわない。そこでやめておけばいい。そこを押し込んでいる。
悩んでいる人・不幸な人がいたら救ってあげること。それは相手を救ってあげるためであり、成果のためではない。
折伏は簡単。ただ一つのコツは「不幸な人を救わせて下さい」と祈ること。いなくても祈ればチャンスは来る。
法華経の法師品に「素直に法を聞かせにやるよ」と2ヶ所も書いてある。これが方程式。強く祈れば必ずそういう人にぶつかる。折伏は簡単です。
誰でもできる。成果のためにやらないこと。成果はこっちの都合。相手のためにやること。「不幸な人を救って功徳を受けさせて下さい。」と祈ること。
不幸な人を救うから功徳がある。宿命転換できる。福運がつく。成果を上げるからではない。苦し紛れの分世帯では功徳はない。
功徳がないのではつまらない。あとには不信が残る。

 今から祈れば秋には間に合う。折伏には方法はない。これは戸田先生の指導。「折伏には方法はないよ!祈ることだけだよ!」と言われている。
成果ではなく「不幸な人を救おう!」と祈ること。必ずできる。
不幸な人がいたら仏法の説明をしないこと。「あなたの悩みはどこから来るか。謗法から・宿業から来るんです。間違った宗教から来るんです。
間違った信仰を捨てて正しい信心をすれば、あなたの悩みは解決しますよ!やってごらんなさい!」と言えばいい。

 悩みに切り込むことと、確信を持って言い切ること。それと体験発表を聞かせること。説得力がある。仏法を聞いても分からないのだから言わないこと。
信仰の喜びを語ること。これが一番魅力がある。体験がないから、相手が魅力を感じない。
 同じ悩みの体験が一番説得力がある。確信持って言い切ること。折伏には教学はいらない。相手の悩みがわかれば誰でも折伏できる。


 戸田先生は「広宣流布は豆腐のおからだよ。」とよく言われた。
 おからは豆腐の絞りかす。おからは目的ではなく結果。豆腐を作ると、結果としておからができる。
 折伏して自分が功徳を受け(豆腐が一個)、相手も功徳を受ける(豆腐がもう一個)。結果として成果が1(おからが一つ)。
 豆腐が二つにおから(成果)が一つ。
  今はおから専門店が多い。寝屋川おから店になっている。うんと豆腐を作って、その結果、うんとおからができればいい。成果は目的ではなくて結果。
 幸せの拡大が目的。不幸な人を救って、功徳を受けて、広宣流布が進めば結構なこと。おから専門店ではだめ。寝屋川豆腐店にしましょう。

  戸田先生が「あんたがた、おいしいところを食べて、おからをこっちへ寄越しなさい。」と言われていた。豆腐をいっぱい食べて栄養を摂りましょう。
今は栄養不足でみんなヨロヨロしている。みんな疲れています。それでよく頑張りますね。

 世界一の経済大国日本がガタガタになっている。日本自体が破産状態。企業も個人もお先真っ暗。
なぜこうなったのか?日本の発展は広布の前進と共にあった。戦後の歴史を見ると、広布が進んでるときは景気が良い。広布の妨害が入ると必ず不況になる。
この繰り返しだった。でも不況はせいぜい2年だった。今は10年続いている。
 平成大不況は平成2年から始った。平成2年7月16日、日顕がC作戦を立てた。学会を切って広宣流布をやめると決めた。その後から今の大不況は始った。


 これを『日顕不況』という。だから謗法は怖い。最大の根源は謗法。日顕宗の大謗法が不幸の根源。阪神大震災も謗法が根源。だから日顕を倒すことが大事。
全部やられているんだから関係ない人はいない。
 しかもその後、山友の策略で、自民党がくっついて学会をいじめた。だから日本の福運は尽きてしまった。もう日本は政治でも経済でも救えない。


 先生は「もう一回広宣流布をしよう!」と何回もおっしゃっている。
今年の年頭にもおっしゃった。「今世の中が乱れている。だからこそ人々を目覚めさせるチャンスなのである。日本人の心に強い動執生疑が起こっているからである。
『大悪起これば大善来る』である。この一年を社会の大悪を大善に変えていく一年としてまいりたい。我らの勝利以外に日本の夜明けは断じてないからである。」と。

 創価学会が勝って広宣流布を進めるしか日本を救う道はない。だから「不幸な人を救い、日本を救おう。そのために広宣流布をやろう!」と先生はおっしゃっている。
先生と一緒に広宣流布をしましょう。広宣流布は最大のロマンです。不幸な人を救い、日本を救い、世界を救おうというのですから、こんなロマンはない。

 そのロマンが今は手の届かない高級メロンになってしまっている。そうではなく、一人の人を救っていくことが広宣流布
 それが日本を救うことになる。だから不幸な人を救うために折伏をしてきた。

 今、支援活動になっている。先生は新・人間革命の「立正安国」の中で「政治不信を招いた原因は何か?政治が民衆の幸福を、人間という原点を忘れたからだ。
だからといって国民が政治に無関心になって監視を怠れば、政治の腐敗はさらに進んでいく。」と言われている。
 腐敗が進んで不信が進んだからさらに政治は悪くなっている。「人間のための政治を実現するためには、一人一人が具体的に行動しなければだめだ。」とも言われている。

 また「創価学会は何の野心もない。ただただ民衆を幸せにしよう。日本の国を平和な文化国家にしよう。世界を平和にしようという崇高な精神である。
広宣流布をやらなければならない。民衆を断じて幸福にしていくためには、前進する以外にない。難に耐え、苦労に耐え、一切に耐えながら、人を救っていく以外にない。
これが仏法者の精神だ。」と言われている。 だから何があっても広布を進めるしかない。



 先生は「大事なことはただ一つ、勝つことである。人生も広宣流布も、勝か負けるか、この二つに一つだ、」と言われている。
「民衆の勝利のために、一人一人の勝利のために、何としてもこの戦いに勝とう!」と決めることが大事。
そして12月の座談会では、全員が功徳を受けて、幸せコンクール、成長コンクール、大勝利コンクールをやろう。
 今は12月の座談会は反省コンクールになっている。それではつまらない。先生は「一人一人の勝利が民衆勝利だ」と言われている。
信心で立ち上がればみんなが功徳を受ける。

 ただ唱題ではない、祈りです。「あの人もこの人も味方にしよう!そして広宣流布を大勝利させて自分も勝利しよう!」
という強い祈りで見事な勝利をして、見事な自分自身の勝利の一年間にしていきましょう。
 そういう意味で、信心の基本をもう一度確認をして、今日からまた前進をしていきましょう。
 ※ 指導全文は上記の倍くらいあります。 部分部分を削っていますので、ちゃんと文章になっていない所もあります。 申し訳ありません。